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2020年8月24日月曜日

映画「糸」

映画館の座席は、新型コロナウィルス対策の為に、一席ずつ開けて座るようになっていました。

中島みゆきさんの「糸」をターニングポイントの頃に聞いたので、予告編を観た時から絶対に行くと決めてました。
上映後、妻が「泣いた?」って聞いたんで「少し」と答えました。「今日で二回目なんだけど、今回の方が泣いちゃった。なんでだろ」と言うんで、「俺と一緒だからでしょ」と答えると不思議そうな顔をしてました(笑)

右隣は、明らかに俺たちより高齢の男女一組でした。時折、二人とも笑い声を上げながら観ていました。俺たちはまだまだだな。


中島みゆき「糸」
検索したら、1998年・平成10年です。この辺りの事を思い出す時は、完全に西暦脳だ。いま、ふと検索したら「ベロニカは死ぬことにした」の出版も1998年😂この本に出合わなかったら「マクトゥーブ」を読むことも無かったかもしれない。
90年代後半。古着屋をはじめて生活が少しずつ安定した頃です、先日セシルマクビーが無くなった時に、淋しいねって妻と話した。今でも109にはカリスマ店員みたいな人はいるのかな。

出来過ぎでしょという偶然の一致みたいなシーンが多い映画だと想った。人生みたいだ。

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2020年6月11日木曜日

入梅

横浜の天候は豹変し「アッパレ」と褒めたくなるような梅雨入りでした。

中川昌彦66歳、外出することも無く、静かな梅雨入りの一日。
作った料理は、しらすおろし、キュウリのオイル漬け、ポテトサラダ、豚肉と糸こんにゃくの炒め煮。
ポテトサラダは、ツナ缶のオイルを使う事に味を占めたもんでやってみたら、塩と胡椒だけで充分いけました。

時々、【ⅩⅧ 月】のカードを見詰めてた。地を這うものの気配しかない世界から出る。
もう少ししたら新月です。
今月のインタビューのテーマは「タロット・【Ⅱ 女教皇】」、ここに描かれている人物は、お月様と大きく関わります。
 http://www.uranai-japan.jp/intervew.html
 
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2019年11月12日火曜日

都築響一著 夜露死苦 現代詩 第7章 32種類の「夢は夜開く」

先日、詩が読みたくなったのでAmazonでポチリました。↓。
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E9%9C%B2%E6%AD%BB%E8%8B%A6%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%A9%A9-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%83%BD%E7%AF%89-%E9%9F%BF%E4%B8%80/dp/4480427023/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=2SCTVYYZX2SP5&keywords=%E9%83%BD%E7%AF%89%E9%9F%BF%E4%B8%80&qid=1573523528&sprefix=%E9%83%BD%E7%AF%89%2Caps%2C278&sr=8-2
第7章 32種類の「夢は夜開く」
有名な「夢は夜開く」について書いてあります。あの歌には歌詞が違うバージョンが沢山あることを知りました。
詳しくは読んでください。

メロディーは一つ、その曲に何十人もの作詞家が言葉を載せて、何十人もの歌手が歌う。

僕たちは、それぞれの「夢は夜開く」を持っているのかもしれないね。
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2019年11月4日月曜日

映画「閉鎖病棟」


題名が気になったのがきっかっけで観てきました。

相変わらず偏りとネタバレを使った、自分語りですw




凄い映画だった。
俺の映画評なんて参考にもならないだろうけど、これは観といたほうが良い。






設定は、精神病院、しかも閉鎖病棟(映像の病院は解放病棟だと思った)。
登場人物は死刑失敗した元死刑囚と精神を病んで何年も入院している人たち。死刑執行に立ち会う人達、執行ボタンを押す人達。患者をサポートする医療関係者たち。患者をとりまく(家族)達。

当事者には(これはありえないよ)という部分もあるだろうし、そして大半の人は当事者でないし、縁もゆかりもない設定だと思います。

だけど、全ての人に当てはまる世界を描いていると感じました。



小林聡美、良かったなぁ。毅然として、優しい。
木野花、ダンサーインザダークだっけ、あの映画を思い出した。物凄く美しくて悲しいな。
渋川清彦、クズだった。見事にクズだった!



日曜の昼間に映画とはいえ出かけるわけじゃん。題名からして行かないと思ったけど、エチケットとして「閉鎖病棟って映画を観に行ってくる。行く?」と声をかけました。

「綾野剛が主演の映画?インスタをフォローしてるから広告が最近流れてた。綾野剛を観たいから行く」と返ってきました。
インスタ?妻はインスタをやってるの?え?まぁいい。

「主演は鶴瓶だと思うよ」「そうかしら」などと言いながら映画館へ。
主演は小松菜奈だった。いや、主演というか鍵が彼女だった。殴られて血を流し、証言台に自ら立つことで、秀丸の為に己の血を流した。






血が流れて、救済があり、奇跡が起きた。
早く死ぬことだけしか願わなかった男が、失敗しても失敗しても再び立ち上がろうとする男になった。




エンディング。
立ち上がれることが出来たか、出来なかったか。
どちらでも善いんだ。

あのシーンは記憶に残る。






映画の途中、なんども泣いたなぁ。いくつかのシーンで涙が止まんないのよ。
妻は「あんただけ笑ってたシーンがあった」と笑いました。

ここまで来させて貰った。ありがたい。
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2018年6月12日火曜日

森田童子さんが亡くなっていた



 

1976年(昭51)年に「ぼくたちの失敗」がヒットするなど、1970年代にシンガー・ソングライターとして活躍し、1983年(昭58)に引退した森田童子さん(もりた・どうじ=本名不明)が、4月24日に亡くなっていたことが11日、分かった。

66歳だった。日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報に、訃報が掲載された。死因は明らかにされていない。

 森田さんは、1975年(昭50)に「さよなら ぼくの ともだち」でデビュー。若さとむなしさが充満する歌詞と、語り掛けるような歌声が特徴で「孤立無援の唄」や「男のくせに泣いてくれた」などヒット曲を出した。
ライブハウスを中心に活動を展開し、若者に支持されたが、83年に東京・新宿ロフトでの公演後、活動を休止した。明確な引退宣言はなかったが、引退後は主婦として暮らし、表舞台には出なかった。  
その中、1993年(平5)に「ぼくたちの失敗」がTBSドラマ「高校教師」の主題歌となり再ブームを呼んだ。2016年には、最新技術でリマスターされたアルバム全集や全曲集の楽譜も出版されるなど、再び脚光を浴びていた。

森田童子さん死去していた「高校教師」主題歌ヒット



心からご冥福をお祈りいたします。






どこかの土地で、だれかと、いつまでも、生きているのだと、思っていた。
なんだろう。この今の気持ち。








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2018年4月24日火曜日

インセプション

インセプションをDVDで観ました。

『インセプション』(原題: Inception)は、クリストファー・ノーラン監督・脚本・製作による2010年のアメリカのSFアクション映画。第83回アカデミー賞では作品賞、脚本賞、撮影賞、視覚効果賞、美術賞、作曲賞、音響編集賞、録音賞の8部門にノミネートされ、撮影賞、視覚効果賞、音響編集賞、録音賞を受賞した。全米脚本家組合賞ではオリジナル脚本賞を受賞した。

Wikipediaより

他人の夢の中に入り込むという不思議な世界観の映画です。


他人の幻覚の中に入り込むというと、P・K・ディックの「流れよ我が涙、と警官は言った」を思い出しますね。





時々、遊びのように(これが幻覚の続きなら……)と思う時がある。
そう、僕には(遊びのように)であって、遊びではない。




優性主義じゃないし、遺伝も学んだこともないし、医療現場にいたことも無いので、精神病が遺伝するのかは分かりません。

だが、狂気は伝染すると知っている。
なにを媒介として伝染するのか?たぶん、(気)だと思う。
気を媒介として狂気は伝染していく。


いま、ここにいる自分は現実なのか?
古今東西、切実な疑問です。




今月のインタビューが「夢」なので、よく夢を覚えるようにしている。
だいぶ前になるけど、枕元にノートを置いて起きたら夢を書きとめるようにしていました。夢ってすぐに忘れちゃうじゃん。



昨日見た夢
Amazonの臨時CEOになった夢。社長になる夢は、権力欲とか名誉欲の表れみたいです。恥ずかしいなぁ。

Amazon……どれだけ名誉や権力が欲しいんだ(笑)
臨時CEO……ずっとやるほど責任は負いたくない、ちょっとだけ(笑)





週休4日でダラダラとした休みが続いています。
70年代、80年代は夢のよう。あまりにも違いすぎる。過去にあったと思い込んでいる事実が、夢で見た映像と同じような輪郭を持っていることもあります。


本当にあったことなんだろうか?
ばっどとりっぷでないことをいのる、すぺしゃるさんくすてぃむりありー。
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2018年4月23日月曜日

レディ・プレイヤー1

今回もまた映画評じゃなく、だらだらとした自分語り。

初めてMX4Dという映画を体験しました。
映像に合わせて、椅子が揺れたり、風や水滴が顔に吹き付けてきます。


内容は……恋愛要素と友情は大切だというようなメッセージを入れなきゃいいのになぁと。




観終わった後、川に行って写真を撮ってくるからと妻と別れて多摩川へ。

写真を見たら、センサーにゴミが付いてるじゃないかと思うような部分があることに気が付いた。
はぁ……






VRが流行るかはエロ次第だと思う。
ビデオやネットが急速に普及したのはエロのおかげではないだろうか。

ロボット技術とラブドールの組み合わせが早いか?
VRコンテンツと全身ボディスーツの組み合わせが早いか?

薄暗くなるまで川べりでぼーっと過ごした。
鵜が何羽かで狩りをしていた。600㎜くらいの望遠で鳥を撮るのも面白いだろうな。



駅へと向かう道の一本が旧東海道だということで、その道を駅へと歩き始めた。
しばらく歩いたら、チラッと(ん?)と感じる看板が見えた。看板のほうへと曲がり、そのまま歩く。やはり。


ここは旧東海道の宿場町。名残はあった。
旅人宿はラブホテル、娼婦宿はソープランドと名前を変えながらも残っている。

100年後は、どんな様式で残っているんだろう。ほんと、こういう時にタイムマシンが欲しいね。
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2018年4月19日木曜日

海を見たいと思った

テレビで放映されるから、いいかな。
12日の午後は、つくばテレビの番組の収録でアイドルとお笑い芸人の二人を占いました。

その後、時間があったので小石川植物園か後楽園のどちらかに写真を撮りに行こうと計画をしてました。
ふと、暦を見ると今日は九紫火星が南西にいた。そこで予定を変更して江ノ島へ向かうことにした。

海が見たくなった


5時半ごろに江ノ島着

小一時間ほどボーっと座り込み、夕暮れを見つめていました。
今日、占ったアイドルは22歳。40年ほど前、僕も22歳の時はあった。

20代前半、日払いのバイトをたまにやり、金が出来ると朝から飲んだくれ。
(インドに行きゃ何とかなる)と呪文のように呟きながら狭いアパートの一室で安ウィスキーを潰れるために飲んでいた。

ほんと、苦しかった。なにがあんなに苦しかったんだろ。とにかく自分を責め続けていた。
今になって振り返ると、捻くれた高慢さなんだけどね。


首を吊るかインドに行くかというとこまで自分を追い込んで、吊るのはやだったんでインドへ。
俺の持ちネタで「ヒッピーになりたくてインドに行って、〇〇になって帰ってきた」というのがあって、結構大うけで笑ってもらえる。




南インドの海辺に数週間いたことがある。
アラビア海に沈む夕日を見ながら(世界の果てまで行きたい)と空想してた。あれから40年ほどが過ぎた。

ここが(世界の果て)かな。

良い感じです。





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2017年10月12日木曜日

横浜市中区

横浜市
黄金町
日の出町

この付近は業が深い。

僕には桜木町や青葉台あたりより居心地が良い。




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2017年9月22日金曜日

坤宮七赤金星のお水取り

坤宮を吉でとる方徳は地道に働くことです。
そして、七赤金星を祐気でとると金運、恋愛運です。そして「楽しみ」というワードがある。

昨日から今日にかけて祐気取りに行ってきました。
もちろん、地道にコツコツ働きたい。あたりまえのことだけど、こんなことを願うようになったのは60歳を過ぎてから(笑)

あと、恋もお金もほしい。
まぁそれも願っています。



七赤金星には「三分の一不足」ということがあります。
マジな話になると、コツコツと働いて三分の一不足でも楽しめる人間になりたいということを真剣に願ってきました。
もちろん、祐気取りは、その後の行動で運気を上げることがとっても大切。
「吉凶は動より生じる」です。





今年の大吉はあと一回です。
お水取りに行く方はしっかりと腹を括って行ってください。念ずれば通ずです。




昨日も感じたが「元は取った」
18歳、数日分の煙草銭と紙袋一つに着替えを数枚。そして家を出た。

アラビア海に沈む真っ赤な夕日をみつめて(世界の果てまで行きたい)と願ったところ、たどり着いたところが初めて死ぬことを考えていた小学二年生のころに住んでいた場所の近くとは。ずっとベクトルは死ぬ方向に向かっていた。

ベクトルが生きる方向に向いたのが40を過ぎたあたりだった。
その後しばらくして、女房が笑いながら言った。
「あのころは家に帰ってきた時に玄関の扉を開けるのが怖かった」

もう完全に元は取った。あとは楽しむ。
Uターンするのに全力だった。この二十年はある部分は餓鬼でいる必要があった。






「足るを知る」ってことかな。

もうちっと見守っててください。もう少ししたら「先生の座右の銘を教えてください」と聞いてね。
僕は少し遠くを見つめて「足るを知るです」と答えるから。




伊豆の山奥は文学の町とか名前がついてました。伊豆の踊子だろう。ラブライブ!のことじゃないと思うw

踊り子。
カトマンズで出会った踊り子はめちゃくちゃ美人だった。南米の子で、放浪中。金がなくなると日本に行ってストリップ。1970年代のストリップはメチャクチャ前衛でした。まな板ショーなど当たり前。舞台にあがる男をストリッパーが客の中から選ぶんだ。サクラもいたかもしれないが、そうでない場合もあった。

踊り子のマリア



猫運と女運だけで生き延びた。
ありがたい。







昨夜、宿でテレビを観ていたら高校生が父親を刺殺したニュースが流れていた。
なにが積もり積もったのかは分からないが。
殺すのも一つの手かもしれない、だが殺さずに家を出るほうが面倒くさくなくて良いよ。マジな話。




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2017年8月15日火曜日

うる星やつら

今月のテーマは星なので、漫画「うる星やつら」のラムちゃんを作ろうしてみたが、似ても似つかない。

なんだか、とても悲しい気分がするw
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2017年7月26日水曜日

POSER ポーリンその1

POSERライブラリのポーリンさんです。
左腕を少し動かし、お腹を少々たるませ肉感的にしてみました。

夏!ビキニはオリジナルそのまま。
これがどう変化していくのでしょうか。

63歳夏。
二次元にハマる。
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2017年7月11日火曜日

アフターエフェクト キーフレームアニメーション


イラストレーターで作ったイメージをアフターエフェクトに読みこみ、キーフレーム動画にしてみた。
面白い!!

これに音楽を付けたら、もっと面白くなりそう。

遊び道具が沢山ある。嬉しい。
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2017年7月6日木曜日

イラストレーター ブレンドツール

イラストレーターって地図を描く時とタロットの例題を作る時しか使ってなかった。
初めてブレンドツールってのを使ってみたけど、無意味で面白い。
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2017年6月18日日曜日

映画「メッセージ」


2017年6月
ゲリラ豪雨のようで梅雨の雨とも思えない。 
「なに観に行くの?」と妻
「メッセージ」
「やっぱり、あんたが好きそうな映画(笑)」


1990年6月
東京都下の田舎で森田童子とDoorsを聴きながら死ぬ準備を着々としていました。


「メッセージは来た?」と妻。
電波度合いとしたら★★★☆☆って感じかな。「サイン」のほうが強い。

去年、初めて鱧を食べた。
今夜はお好み焼き。
鱧を食べているときに「高校時代のあんたに大丈夫だよと言ってあげたいでしょ」と妻。
「うむ」とうっすらと涙ぐむ俺。


未来を知るということがテーマの映画でした
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2017年5月22日月曜日

美女と野獣 これもまた映画評ではない

美女と野獣を観てきた。

ディズニーの実写版。
アニメより断然素晴らしいと思う。是非。

ここ数か月、少々具合の悪い日々が続いている。
具合が悪いという感覚は、たぶん少数派の人にしか分からないだろう。女房には「精神状態が悪いの?心?体調が悪いの?仕事がうまくいかないの?」とか聞かれるがどれもしっくりと言えない。

精神状態もそこそこ安定しているし、身体も不具合は無い。仕事も忙しくも暇でもない。
あえて似たような感覚を探すと、呼吸が苦しいという感じかな。
肺魚って変な魚、肺呼吸のくせに水中にしか住めない。

まぁ、仕方ない。いつかは終わる。


美女と野獣を最初に観たのは、ジャン・コクトーの映画。
もう40年ぐらい前になるだろう。
この物語のテーマは気になっている。
だから、美女と野獣はほとんどの作品を観ている。


テーマ。
救済でなかろうか。




今年からカルチャーセンターの仏教講座に通っている。50人ぐらいは受講しているが、平日の昼間という時間帯の為だろうか、ほとんどが60代、70代の男女。
いろんな過去があるんだろうなぁとその人たちを見て思う。

どこでもいいから宗教団体に入って無条件に絶対神を信仰できたらなぁ。
そうもいかない人たち。






身も心も野獣になってしまい、滅びを待つだけ。
死は救済だと思っているが、自ら死を選ぶことが出来ない野獣。

愛し、愛されることが救済だと知ってはいるが諦めている野獣。






テーマ。
復活。


今回の映画では、野獣は撃たれて死んだ。そして、生きかえった。
生きかえることが出来る。
生き方を変えることが出来る。




40年間で、救済と復活の片りんを経験した。



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2017年4月5日水曜日

2017年@千鳥ヶ淵






9.8分咲きという感じの桜でした。
たぶん今週末は見ごろでしょう。

思うところがあって戦没者墓苑と靖国神社は黙礼だけ。

今でも何にも知らないことが多いが、昔はもっと知らなかった。戦争を知らない。


その後、ムンバイでカレーを食べた。これも恒例。


初めて千鳥ヶ淵の桜を観たのは20年以上前になるか、桐ケ谷の帰り。
俺たちは戦うべきじゃなかった。
鎖を切るべきだった。



ムンバイ。
いまwikiったら1995年にボンベイからムンバイに地名変更になったんだな。極右が主導したようだ。ここにも政治。ここにも政治。ここにも政治。

ムンバイのディナーセット。
カレー二品【チキンと日替わり】
カバブとタンドリーチキン
ターメリックライスとナン
サラダ
マンゴーラッシー
追加でサモサを頼んだ。

インドを列車で移動中はサモサをよく食べた。列車が駅に止まるとサモサ売りがウヮーッとよってくるんだ、香辛料と油と汗と埃の匂い。

無意識にナンを右手だけでちぎって食べてたんだな、妻がよく右手だけで出来るわねと。

インド人は右手で食べるという思い込みがあるかと思うんだが、実際には右手の指先を使う。寿司を食べるときに手を使うというより指でつまむじゃん、あんな感じ。

インドで何回か高級な料理屋に行ったが、ハイソな人たちの食べ方は綺麗だよ!!指先をほんの少しだけ使う、手でぐちゃぐちゃにする人なんかいない。



ボンベイ。
狂うかと思うくらい暑かった。商業都市で俺みたいな風来坊は少なかった。安宿に数日泊まっていたが、YMCAが情報交換の場になっていたんで一泊だけした。

あの頃も口コミが頼り。
今と違うのは、口コミの内容より、その口コミをどんな人が伝えてくるかが重要だった。
どんなオイシイ話でも伝えるやつが??という感じなら信用できない話。


安宿はどの国でも同じなのか?ボンベイもそうだった。
スラムの近く、そして売春街も近い。インドは英語が公用語だがスラム街の売春婦には英語は通じないね。ドロドロの道を歩いていくと窓に鉄格子、扉は外から鍵をかけた売春宿がつらなっている。部屋の外から野良犬がギャンギヤン鳴いている声が聞こえた。

一人でぶらぶらと出かけていたから、殺されても分からなかっただろう。




サクリファイスという映画を観たことがありますか。
ここにも〈マリア〉が登場します。

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2017年4月2日日曜日

三島由紀夫原作、美輪明宏主演「葵の上、卒塔婆小町」@新国立劇場



カーテンコールの時になにかわけわからないものが込み上げてきて涙が止まらなかった。
「泣いてたでしょ、あたしベンチのシーンではちょっと寝ちゃった」と妻。

ちょっと寝ちゃった、寝ちゃった・・・・・・
価値観の違いが大きすぎる。猫達といい妻といい俺とは価値観が違いすぎる者たちと暮らしています。

観劇のあと、ちょっと贅沢な寿司を食べながら「俺は前世でよっっぽど良いことをしたようだ」というと妻は微笑んだ。

「卒塔婆小町」
美輪さんは最後の台詞を削った。その理由を上演パンフレットに書いてあります。
恋する男を救おうとする〈女〉の情念なんだろうか。叶うことのない情念。

俺は、この戯曲をどうしても豊饒の海と重ね合わせてしまう。
生き延びて老醜を晒すしかない〈人〉は、輪廻する者の〈何か〉に恋せざるを得ない。

小町は99歳という設定なんだ。
若いときって99歳なんて永遠のように思えたが、この歳になるとちょっと先って感覚です。
時間は不思議。

俺は少しずつ老醜を晒し始めている。 俺は誰かに恋をしたことがあるかなと。

99年が永遠に感じるときもある。

だが、永遠に続く苦しみは無いと信じたい。
恒轉如暴流 阿羅漢位捨



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2017年3月11日土曜日

福島泰樹短歌絶叫コンサート・これもまた感想ではない

女房に一緒に行くのを断られ、よしSNSだとツィートしたにも関わらず「センセー、一緒に行こう。夜は道玄坂でふふふ」なんて女の子は一人も出なかった。

何年ぶりだろう。数えるのもめんどくさいくらいに久しぶりの福島さんのコンサート。

墓の詩を歌っていた。

今夜想いだした墓参り。
八王子に医療刑務所ってのがあります。収監されている人たちが病気になった時に入る刑務所。
そこで亡くなる人もいる。遺骨の引き取り手のない死者もいる。そういう死者の為に合同墓があるんだ。場所は忘れてしまったが、田舎で駅からだいぶ歩いた記憶がある。

一人一人の遺骨を個別に祀っているわけではなく、結構広い敷地内に納骨用の穴がありそこに全員の遺骨が撒かれ一緒になって埋められる。観音様かなぁ、仏像が立っていた。



たぶん季節は冬だった。冬の嵐だった。駅前で花を買って女の子とずぶぬれになりながら墓参りをしてきた。
その後は獣のように……獣になるしかないじゃん。


70年代、80年代。自分でもワケワカラン。

とりあえず、今夜は「表現者」になるという決意がさらに高まった。
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2017年2月26日日曜日

卒塔婆小町読了・しかし感想文じゃないからね


今日やりたかったことの一つ、卒塔婆小町を読み終わった。

感想はあるようでなく、無いのでもない。
長さも高さも質量も座標もない。点。
ピンク・フロイドを微かに流しながら、猫を撫でながら読み終わった。
点。もう一つの点と結びついた。
二十歳くらいか、埼玉に住んでいた。駅から徒歩二十分くらい、西側にしか窓のない二畳半のアパートの二階。便所、炊事場は共同。保証人のいない俺が借りられるのはそのくらいのアパートしかありませんでした。

寒かった。暖房器はニクロム線がクルクル巻かれた電気コンロだけ。スイッチを入れるとニクロム線が橙色に赤く光る、その上に乗せる鈍い灰色の金属でできたヤカン。ヤカンに焼酎をダバダバと入れて少し温め飲んでいた。

近くの菓子工場に勤めていた。朝から晩まで水飴の一斗缶を運び、機械に流し込み米を加工したものと混ぜ合わせベルトコンベアに流し込む。それをおばちゃんたちが手で丸めていた。そう、東京名物「○おこし」を作っていました。

給料が出ると池袋に行き、安酒を飲みタチンボを買う。あの頃の子たちは元気だろうか。

絶望とも虚無とも違う。そんな上品なもんじゃない。ステバチ。どーでもよかった。


さっきwikiったらちょうど2月28日だ、浅間山荘。ゴミ捨て場から拾ってきたちっちゃな白黒テレビで飲んだくれながら観ていた。
闘争も絶望もない日々を過ごしながら「インドにいきゃなんとかなる」と呟きながら気絶するために飲んだくれていた。
戦うことすらできないクズだった。

さて、もう一個点を作り結びつけ面を作りに行くか。
シグマの105ミリマクロを持って撮りがてら鎌倉の教会に行ってくる。
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